他人の「美味しい」って信用していますか?
「美味しい」って言われても自分にとって美味しくなかったり、人それぞれ感じかたが違う。「美味しい」って曖昧で特定しにくいものだなと感じます。
他人に勧めるときも「美味しい」よと伝えるのは少し緊張します。意外と勧める相手をみて、伝え方かえているかも。。
では、不特定多数に美味しいと伝えるときに人はどこまでこの美味しいを信用しているんだろうか?と疑問に思っていました。
前回のブログでも書きましたが野菜の美味しさの基準は人によって違うから、他の料理も同じことがいえるなー。
前回の記事↓
その疑問に回答してくれたのがこの本!!
「料理通信」の編集長である君島さんの著です。
この本では外食産業にまつわる色々なことを紐解いて解説しているのですが、美味しさはざっくり2タイプあるという話に納得。スッキリしました。
1,誰が食べても心地よく感じる生理的な美味しさ。美味しさの質としても感動や衝撃ではなく、癒やしさ、和みをもたらす精神安定剤的な傾向がある。「おいしい」=「心地よい」例「おふくろの味」
2,芸術、表現のとしてのおいしさ。素材の組み合わせや食感のコントラストに趣向を凝らし、その新しさや制度の高さにおいて限界値を極めようとする行為が生むおいしさ。その分、もたらすものは癒やしや和みよりも感動や衝撃。例「三ツ星料理」
著者は「おいしい」ということばを鵜呑みにしないそうです。
その理由としては
1、「おいしい」という言葉は、個人の嗜好と経験値、知識、体調や環境に左右され、絶対的なものさしにならないから
2、「おいしい」という言葉は具体的な、中身を伝えていないから
だそうです。
勉強になりました!