生活リズムが固定化すると抜け出せない、動き出せない怖さ。
今日のブログ、支離滅裂です。
自分が書き残したいことを書いています。
頭の中、グルグルです。
でもこんなことを考える時間も貴重に思えてしまいます。どうして社会人になると忙しくなってしまう?または忙しい気がしてしまうのでしょうか?
この記事を書きたくなったのは本当に小さな事です。今日、久しぶりにHMVに行きました。たったそれだけ。多分目的もなくふと入店したのは8年ぶりくらい?
大学生の頃は、新宿タワレコに週一度行かなければ、気持ち悪くなるくらいだったのに。今考えると本屋みたいに、CDの視聴ブースで今の気分を図っていたのかもしれません。人って変わるものですね。
でも、新社会人になり東京を離れてから、タワレコ・HMVに疎遠になってしまいました。今やCLUBやROCKと同じように、「ボーカロイド・アニメ」ブースがあるんですね。結構ビックリしました。また一番ショックだったのが、学生の頃よく聴いていたアーティストが亡くなったことを5年も知らず、2作目の追悼アルバムで今日知ったこと。
疎遠になったのは、いくつか理由があります
1、身近に大手レコードショップがなかったり、
2,iTunesのほうが沢山視聴できて何かと便利ですしね。
3、私のPCがMacbookAirだからCDは読み込めない、オーディオを手放した等色々考えられます。
でも一番の理由は仕事をする生活のかなで「音楽」を聴く習慣が完全になくなったこと。聴くタイミングもなかったし、誰かと愉しむ機会がなかった。なんだか新入社員の時に張り切りすぎてストイックになってしまったかもしれません。
学生の頃は通学時間に常に音楽を聴いていたし、アルバイト代はCD代に消えていたし、clubで誰かと愉しむことができた。けど社会人になって環境がかわって、東京に出る機会も減ってしかも、Club営業時間24時までって踊っちゃいけないなんて!どんどん遠ざかっていきました。今や義務教育でhiphopが必須なんてビックリです。
でも考えてみると、今まで誰からも音楽を聴くなとも言われていないし、しまいには今は東京に住んでいていつでも音楽を愉しめる環境にいるのに全く聴いていない自分。正直ラジオすら聴いていない。
学生の頃からライフスタイルがかわったんだからしょうが無い?一緒であるわけがない。のはわかっているのですが、なんだかそんな変化に気が付かなかった自分が嫌です。
ここからは支離滅裂な自分への覚書
「無関心の怖さ」「ツールが使えていない」「価値観はかわる」
- 働き方や仕事に関する価値観を根本的にかえていけないのはわかっている。ちきりんやワーク・シフトからつきつけられた。
- 仕事そのものを変化が求めれられているのであれば、一生の中で自分がどんな事やものが好きかは自分で知っておきたい。
- 嫌いなものではなく、好きなもの、気になるものは知っておきたい。結構嫌いなものはすぐに思いつく。
- トレーニングしないと好きになれないものある。スポーツのルールを知る。楽譜が読める、ステップが踏めるとか。
- 学生の頃には楽しめなかったものもある。食事やお酒。
- ミニマムに暮らすという選択はけして娯楽を我慢する話では無いのに、そのように置き換えてしまいそうになる。
- お金を基準に考える生活は息苦しくなる
- 時短して何をする?
- 娯楽は大事。音楽、絵画、アニメも映画もスポーツも我慢するのはなんだかおかしい。
- 会社や世間に我慢させられているわけではないけれど、鈍感になりがちな生活。単調な生活になりがち。
- 「してはいけない」と誰も言われていないのにセーブする自分がいる
- 年齢や仕事、パートナーによりライフスタイルがかわるのは当たり前のこと
- しかし、なんとなく過ごしライフスタイルがかわったことに気がつかないのは嫌。
- 自分が居心地よいと思う、環境や音楽、本、言葉、絵は意外と少ないし大切。
- タワレコ身近になかったからと音楽を聴くのをやめたのは自分がiTunesに移行できなかっただけ、youtube、ブログも含め利用すれば今でも音楽を聴くことはできたはず
- リコメンドしてくれることが楽しみだった?タワレコスタッフのリコメンドを楽しみにしていた自分がいる。iTunesのリコメンドはそっけない?
- そっけないと感じるのはiTunesが使えていない証拠?
- SNSなどに振り回される必要はないけれど、コミュニケーションツールや営業媒体がかわったことで、無関心になるのは怠惰なだけ?
- 意外と変化についてこれていない人は沢山いる?
- 仕事と住環境(間取りや住んでいる地域)はライフスタイルを形成するのに大きな要素
- この数年の日本のストリートダンス市場を考えると、規制の怖さや当たり前が当たり前ではなくなる良い例。
次回のブログからしっかり整えます。