苦い思い出 チョコは必ず受け取りましょう。
今週のお題「バレンタインデー」といえば、苦い思い出があります。
嘘のような本当の話、長文ですがつらつらと
小学校4年生の時、私にとってバレンタインデーにチョコレートを贈るなんて考えてもみなかった。正直、「好き」っていう気持ちがわからなかった。
バレンタインデー当日、自宅に帰ると母から「お笹馴染みのU君の家に普段お世話になっているんだからチョコレート渡してきなさい。」とお使いを言い渡された。
U君とは幼稚園から一緒で、母親同士が用事がある際にお互いの家に子供を預けていたりしていた。
正直私は本当に面倒くさいと思いながら。U君の家に、、自転車でむかった。
U君は男4人兄弟でいつも学校帰りにそのまま野球をするため日が暮れるまで公園にいる、そのためU君は不在だった。
私は玄関先でU君の母親に「おばちゃん、これ!U君に」とチョコレートを渡して、自分も女の子の家に遊びに出かけたのを覚えている。
そこからが大変だった。
実はU君がその日不在だったのは野球ではなく、放課後にMちゃんに呼び出されていたのだ。Mちゃんはクラスの中で一番お金持ちでちょ~可愛かった。クラスで注目のまとのアイドル的存在だった。背が高くマセていて、いつも彼女の周りには複数の女子がいた。
そんな彼女がU君が好きなのはクラス全員が知っていた、その彼女が14日放課後にU君に用があると音楽室に呼び出していたのだ。
小学生だから、こっそり隠れて呼び出したとしても、周りに知れ渡ることになり放課後
には野次馬が大勢いたそう。公開告白ですね〜。
(高校は音楽室は常に鍵がかかっていた気がするけど小学校はどこも開いてたなー)
Mちゃん「U君 昨日お母さんと一緒に作ったのパンダのチョコレート食べて」
周り「ひゅーひゅー」「パンダだ!パンダだ!」「結婚しろ!」とやじが飛んた。
U君「俺、甘いもの嫌いだし、チョコなんてダサいから要らない、野球に行かなきゃと」とそうそうに拒否して切り上げようとした
そうしたら、
「じゃー俺がもらうよ」と正直クラスで一番嫌われていたO君が横入りしてきた。
U君「そうしろよ、俺はいらない」と教室を飛び出した。
Mちゃんが作った手作りチョコはなんとクラスで一番嫌われていたO君に渡り、Mちゃんは号泣して周りがおろおろしたそうな。
これはクラスでは一大ニュースだった。
クラスでは学級掲示新聞があって、「Mちゃんのパンダチョコレート、U君に渡せず。O君がその場で貰ってたべた」の記事がトップを飾った。パンダチョコレートのイラストも新聞に載っていた。
こんなことが掲示されるなんて放任主義だったな。Mちゃんも公開告白でまさか断れることなんて微塵も思ってなかったんだろうな。
そこで、話が終わらない。
母親ネットワークとは凄いもの、PTA(母親の集まり)にてU君のお母さんは私からチョコレートを貰ったことを伝えてしまったのだ。(多分悪気はない、ありがとう美味しかったわ~とかぐらいだったんだと思う。ちなみに私はM君から御礼なんて言われた記憶がない)
一気に母親ネットワークを経て、私がU君にチョコレートを渡しがことが広まった。
そこから、クラスの女子ほぼ全員からの無視が1ヶ月続いた。
Mちゃんは一生懸命作ったチョコレートをもらえなかったのに、私は自宅に行ってチョコレートを渡したずるい奴ということで。また、MちゃんがU君を好きなのは全員が知っていることなのに裏切ったみたいな。好きなら好きとみんなに公言するべき卑怯な奴と言われ放題だった。
今考えると、変な理由だけど、小学生の私は本当に悩んだ。
もう、「りぼん」や「なかよし」の付録の交換も出来ないし、セーラームーンの漫画も借りれない。って言うか一緒に登下校する女友達がいない。
私は小学生ぐらいまでよく空想の世界と現実の世界が混同していた。私は最初の2週間はこの辛い状況を楽しんでいた。「シンデレラ」や「小公女」みたいな「可哀想な私」に浸っていた。笑
でも、1ヶ月も経つと王子様がやってくることもないことに気が付き、女の子の嫉妬心の強さを感じ、これが数年続くんじゃないかとの恐怖心が出てきた。
最終的に無視がなくなったのはクラス替えがあってMちゃんと別のクラスになったから、ぱったりと終わった。
皆様、チョコレートは受け取りましょう。
別に貰ったからってすぐに付き合ったり、結婚を要求しません。
女子はプライドを傷つけられて根に持ちます。そしてその気持ちを他の女子に共有したくなります。
集団無視は些細なことで起こります。内容は理不尽なことが多いです。
ダラダラと失礼しました。
私のバレンタインの思い出です。それから更新されない悲しさ。
どうしてMちゃんはパンダを作ったんだろう。今でも謎です。