野菜の捉え方 異なる家族
結婚すると当たり前だと思っていたものが当たり前でなくなるカルチャーショックがあると言いますよね。私が一番衝撃的だったのが「野菜」の扱いかた。
野菜はパンやケーキと一緒
団地で育った私にとって野菜とはパンと同じように商店で購入するものだと思っていた。正直、野菜を数種類買う値段を考えるなら、安い野菜ジュースで済ませたい。サラダを作るときに野菜が2種類あれば十分。レタスとトマトの感覚でした。ミニトマトは高いから本当に少し彩りに入れるくらい。ミニトマト食べたいというよりはお弁当などの飾りの印象が強い。
野菜の美味しさって違いはなに?
正直 野菜が大好き!美味しい!と思ったことはなかったです。果物の美味しさの違いはなんとなくわかるけれど胡瓜やトマトの味の違いなんて考えたこともなかったなー。
美味しい野菜って人によっても違う、人参の甘みが強いほうがいいのか、最後の方に感じる苦味?が美味しいのかは難しいですよね。
野菜が嫌なら食べなきゃいいので、単品の野菜を茹でたり、炒めたり、蒸したり、漬けたりどの調理法が美味しくなるという発想も浮かびにくいでしょ。しょうがないですよねーだって、野菜はお魚や肉とおなじ感覚だんだから。
また小さい頃は野菜は八百屋で買っていたけれど、魚屋、駄菓子屋の並びにありひとつの商店にかわりがなかった。今は商店街もなくなり、ス−パーにかわり棚ごとの違いになっけれど、その意識はそのまま。野菜の摂取量は各野菜の単価に左右されていました。
野菜は消費するもの
それが結婚し、畑ができたことで 野菜は買うものから消費しなきゃならないものにかわりました。
- 食べたくなくても食べなくちゃいけない
- 野菜は同じ時季に大量にできる
- 育つスピードに消費するスピードが追いつかない。美味しいところだけをとって食べる。
- 帰省すると全ての食事に大根が入っている食卓
- 胡瓜を買ってきて怒る主人
- 値段が高いものが美味しく栄養価が高いものとは限らない
- さやえんどうやスナップエンドウの市場価格は収穫代だんだろうなーと思ったりする。
- 野菜には美味しいものとまずいものがある
- 野菜は品種が一緒でも育て方で美味しさがかわる
- 野菜や果物は品種が沢山ある。例:葡萄だけでも品種は多種多様
- 大量消費のためのレシピがクックパッドレシピが存在する
野菜に価格がついて購入している家族は野菜は貴重になる(一食分の食費を考えると野菜は少しながら制限されるのでは?無制限にとはいかない) 、一定の時期に大量にできる野菜を消費、食べ続けないといけないと大量消費レシピ料理をする家族。団地っ子の私には贅沢な生活にみえます。勿体ないと思ったことも笑。関東圏内にある両家、需要と供給のバランスが異なり、野菜の捉え方が異なり本当に面白いです。
両家は同じ商圏エリアにある。このバランスの違いがマイクロビジネスにならないかなーと考えみようと思っています。